IGARYUの 役にたつかもしれない備忘録

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3月11日、女川町 #jishin #save_miyagi

この度の震災で安否情報を求めているうちに、様々な被災者の訴えを目にしました。

その中でも、女川在住の方の記録がとても詳細で、広く皆様に知って頂きたいと思いました。

作者の方もどんどん広めて欲しいという事なので、ここに転載させて頂きます。

津波の被害に遭いながらも、生存者としての使命を果たそうとするその姿勢に敬意を表します。

mixi:海がみたいさんの日記より」

私は女川町から

石巻市涌谷町、美里町を通って仙台市まで避難してきました。

私一人の情報なので量は少ないですが、全て報告したいと思います。

まず先に・・・

女川は、石浜、宮ヶ崎、大原、清水、鷲神は全壊と考えていいと思います。

旭ヶ丘は津波の被害はありません。

私は女川で地震にあいました。

地震後すぐに警報がなり、慌てて車で第一中学校まで祖母と避難しました。

その時点での大津波警報では、津波は3mということでした。

警報から15~20分後、海面が上昇し始め、海岸から徐々に水が広がっていき、最終的には鉄砲水のような勢いで津波が押し寄せてきました。

バキバキという音と爆発音がなり続け、海水が女川町全体で渦を巻いていました。家も駅も生涯教育センターも、全部水の中で、姿もみえなくて、幼稚園があったはずの方向には海岸から流されてきた船があって、家がそのまま水に流されて浮いてた。みんな渦の中。津波は中学校の海側の坂の半分くらいまできていて、避難してそれを見つめていた人たちの肩には雪が積もってきていました。

ラジオなどでは10m程度などといっていますが、

実際にきた津波は30mちかくあったのではないかと思います。

津波は清水の奥まで届いており、本当に見える場所すべてがのみ込まれていました。高台にある町立病院の1階まで水が押し寄せて、駐車場にあった車は全て巻き込まれていました。

逃げ遅れた方も多かったと思います。家の2階や、奥のほうに住んでいた方などは、安心しきっていたかもしれません。

全てがのみこまれていました。

津波が来ている最中も強い余震が続き、中学校のグラウンドも地割れがおき始めたため、総合体育館まで移動しました。

初めは体育館も窓ガラスが割れるなどの被害があったため閉鎖されており、小学生などは芝生の坂の上にテントをはり避難していました。

雪が強くなっていたので私は車の中で暖をとっていましたが、ガソリンがなくなりかけていたので体育館のほうへ向かいました。

私が向かったときにはすでに開放されており、入り口付近では掃除用具などを入れるロッカーを横に倒しそのなかで体育館にあったプラカードや椅子などを燃やし、火をおこしていました。

ケータイは圏外、電気もガスも水道もとまっていました。

自家発電で多少の明かりはありましたが、薄暗く、窓ガラスも割れているため冷たい風が室内にも吹いて、とても眠れる状況ではなく、毛布を持ち込んでいる人もいれば、私たちのように体ひとつで逃げてきた人たちも大勢いて、寒さでほとんどの人が眠れずにそれぞれが寄り添って被害状況の報告をし合っていました。

両親を探す人。

津波にのみ込まれ、泣く泣く親の手を放した女性。

妻が目の前で流されてしまった男性。

子供を失った人。

人が車ごとのみ込まれていくのを目の前でみてしまった人。

津波がひいた後、家族の死体を見つけた人。

様々な方がいました。

自分のことで精一杯で、目の前の「助けて」の声にも、こたえられないんです。

私も地震直後のまだ電波が届いていたときに母と弟とは連絡が取れていましたが、父とは連絡が取れず不安でたまりませんでした。

1日目は何も食べることが出来ませんでした。

一晩中余震が続いていました。

2日目、早朝に「玄関にお父さんが来ている!」と言われ、駆けつけると顔中傷だらけの父が立っていました。涙があふれました。

津波に遭遇しながらもなんとか逃げ切って隣の小学校で一夜を過ごし、私と祖母のために山を越えて体育館まで来てくれたそうです。

ほかに何人も他の避難所から体育館に次々と移動してきて、体育館は人があふれていました。

昼ごろに初めての配給があり、お椀に半分のスープを食べることが出来ました。具はほとんどありません。

昼間、父と津波が引いた後の町を見に行きました。

更地になっていました。そこら中瓦礫の山です。

自宅も会社もなくなっていました。というか、土台だけです。

アルバムに写真がアップしてあるので、見ていただければと思います。

夜になり、道の側溝の網を焚き火の上にかけて、そこで拾ってきた魚を焼いていました。

子供や老人が優先されていましたが、ほとんど早い者勝ちで、私は最後に運よく食べることが出来ましたが、食べられなかった方もいたと思います。

地震があってから、まともな食料をほとんど口にしていなかったので、本当に夢中で食いつきました。本当に涙が出そうでした。

避難所は悲惨でした。

町の生臭さと、人の息、煤のにおい。

もちろんトイレも仮設のもので、そのちかくで人がひしめき合っているんです。夜は足をのばすことも、寝返りをうつこともできません。家族と連絡が取れていない人がほとんどで、食べ物もなく、みんな苛立って。

女川を一通り歩いてきましたが、本当に酷い。

被害を受けたところは、もう跡形もありません。

その後、私と父はケータイの電波が届く地域まで避難することができ、そこで母たちと連絡を取り合って、祖母も迎えにいき家族5人全員で再会することが出来ました。

今は家族全員、仙台に避難しています。

居場所がある。毛布がある。寝るところがある。

これだけのことがこんなにも幸せなことなんだと実感しています。

仙台に避難してきた日、朝から何も食べておらず、

夜に暖かいお米を食べて、心から幸せだと思えました。

水が飲めるし、お米がたべられる、本当に幸せなことなんです。

しかし、仙台でさえ食べ物が不足しており、街中のひとが食料や水を求めてスーパーやコンビニに列をつくっています。

逃げようにも、ガソリンもありません。

流通も止まっているため、在庫がいつまでもつかも分かりません。

朝から食料集めで走り回っています。

仙台ではまだ電気も復旧せず、断水が続いている地域もありますが、

女川より、余程ましです。

困っているのは同じだし、同じように苦しんでいるのはあたりまえです。

被害の大きさで図るのは嫌だけど、だけどもっと酷い地域がある。

女川だけではありません。

もっと酷い地域があります。

人が沢山死んでいます。

飲み物も、食べ物もなくて、暖をとる手段もない。

助けの届かない孤立した地域です。

家族が誰一人欠けなかったこと、

私たちは本当に運がよかったんだと思います。奇跡です。

いま、暖かい寝場所があります。

食べ物も少量だけど何とか確保できています。

励ましのメールや電話が、本当に嬉しい。

本当に支えになっています。ありがとう。

みんなありがとう、心配してくれて。

もう言葉にできません。

宮城県民、とくに女川町の情報は私が知っている限りのことを伝えて生きたいと思います。

女川はいま、瓦礫の撤去作業も進められていて、女川の外に出ている人もいます。しかし、ほとんどの人はまだ体育館で生活していると思います。

メッセージください。

女川にいる家族のことでも親戚のことでも、知っている情報は全て差し上げます。

被災地の方、頑張りましょう。

いま、私たちには何もありません。

これからどうやって生活していけばいいかも分かりません。

すぐに助かる保障もありません。

先のことは何も見えないけれど、いま生きていることに感謝です。

そう考えて、いまは踏ん張るしかないんです。

家族との連絡が取れない方

被災地では、3ヶ月近くは連絡が取れないかもしれません。

だけど、絶対に無事な人もいます。

連絡がつかなくても、絶対にあきらめないでください。

【追記】

私は今(3月16日現在)、女川にはいません。

電波の届く場所まで避難することができたため、みなさんに情報を発信しています。

誠に勝手ながら、コメントを欄追加させていただきました。

皆さんからの声が、私たちの支えです。

本当にありがとうございます。

千葉雄右さんの無事が確認されました #jishin #save_miyagi

千葉さん本人から、電話連絡がありました!

ご家族も無事で、石巻にある自宅も高台にあり、難を逃れたそうです。

本当に良かったです!

情報を提供して頂きましたNORIさん、

共に状況を見守って頂いた山形大学音楽科の同級生の皆さん、

本当にありがとうございました。

幸い生き残った我々は力を合わせ、日本の復興のために頑張りましょう!

失われた尊い命のためにも。

千葉雄右さんを探しています #jishin

友人の安否情報を求めています。

千葉雄右さん(38)

石巻市在住、女川町立女川第一中学校で音楽科の教諭をされています。

山形大学教育学部特設音楽科卒業、陸上部に在籍。

身長が180cmぐらいあり、とても音楽の先生には見えませんが。

何か情報をお持ちの方は私のブログにコメントをお送り下さい。宜しくお願い致します。

《3/18追記》

千葉さん友人のNORIさんより、コメント欄を通して

「女川一中の教職員の皆さんは、震災当日の無事が確認されている」

との情報を提供して頂きました。

NORIさん、本当にありがとうございます。

しかし、その後も本人とは連絡が取れない状況です。

昨日、被災地は雪に見舞われ、寒さで極限状態が続いているのだろうと憂慮しています。

同じ東北に住みながら、我々一般人が直接手をさしのべられないこの現状が悔しくてたまりません。

千葉君、救助の手が届くまで、もう少しだけ頑張って下さい!

ほぼ日手帳より

ドラッカーは、「成果をあげるためにはかなりのまとまった時間が必要」だと言います。

そのためには、まず自分の時間の使いかたを記録し、そのうち必要のない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ出し、捨ててしまうことを勧めています。

ーー中嶋秀樹さんが『初めてのドラッカー』の『用語解説』の中で

iPhoneのみでバンド演奏

ブルックリン出身のロックバンド「Atomic Tom」が、新曲のプロモーションとしてiPhoneを手に演奏しています。

なぜ地下鉄で?ってツッコミたくなりますが、このパフォーマンスはすごい。曲も良いね。

AppBankのオフ会に行ってきました

今日は仙台でiPhoneアプリとiPadアプリをおすすめするAppBankが主催するオフ会に参加してきました。決して広いとは言えない店内に30人程が集まり、ほぼ全員がiPhoneiPod TouchiPadを持参して語り合うという、日常では有り得ないイベントでした。

参加者の職種は幅広く、アプリ開発、SE、デザイナー、大学の先生など、普段はお会いする機会のない方々とお話しが出来、嬉しかったです。iPhoneiPadという共通した興味のある方々の集まりとはいえ、中身はちょっとした異業種交流会でした。違う業界の方とお話しをするというのは、いつも刺激的で楽しいです。

各々がお気に入りのアプリを紹介したり、面白いアプリが作れないかとアイディアを出し合ったり… 19時スタートの宴は2次会に突入、午前1時の閉店まで熱いトークが繰り広げられました。またオフ会があったら、是非参加したいです。

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